特許法の体系別の解説書である。発行元の経済産業調査会は発明推進協会と並んで知的財産関連の書物を多く発行しており、また、(弁理士にとって継続研修の単位を取得できる)セミナーの開催や日刊紙「特許ニュース」の発行でもお馴染みであるが、本書は平成17年に初版が発行されてから第6版まで改訂が重ねられてきたにもかかわらず、特許法の他の体系書と比べると存在感が薄いように感じられる(経済産業調査会が発行する知的財産関連の書物は統一的な外観となっているため、それらの中に埋もれているように見えることも要因かも知れない)。著者は大手メーカー(ノーベル化学賞を受賞して話題となった技術者が在籍することでも知られる)の社内弁理士である。以下、気になった記述を抜粋して寸評し、最後に総評を述べる。 進歩性に関して 「2つの引用発明を組み合わせた発明において、単にそれぞれの引用発明を組み合わせただけの効果しか生じない場合は、進歩性が否定される可能性が高いが、2つを組み合わせることによって特有の効果を生じる場合は、進歩性を肯定する事実として参酌されることになる。即ち、1+1=2という効果では進歩性は否定されるが、1+1=2+aの効果が生じる場合、aの効果の大きさが進歩性を肯定的に判断する材料となる」、「但し、請求項に係る発明が引用発明と比較した有利な効果を有していても、当業者が請求項に係る発明に容易に想到できたことが、十分に論理づけられたときは、進歩性は否定される可能性が高くなるので注意を要する」(59頁) 本書における進歩性に関する記述は特許庁の審査基準を概ね踏襲したものであったが、効果の参酌については、予測できない顕著な効果という重要な言及を欠いている。本書の上記の記述における「引用発明と比較した有利な効果」は同基準にも見られる用語であり、同基準によれば、そのような効果を有していても当業者が請求項に係る発明に容易に想到できたことが十分に論理付けられた場合は進歩性は否定され、例外的に、そのような効果が技術水準から予測される範囲を超えた顕著なものである場合、すなわち、@引用発明の有する効果とは異質な効果を有し、この効果が出願時の技術水準から当業者が予測できたものでない場合、A引用発明の有する効果と同質の効果であるが、際立って優れた効果を有し、この効果が出願時の技術水準から当業者が予測できたものでない場合は進歩性は肯定されるのであるが、このように同基準でも言及されている予測できない顕著な効果について本書では言及が見当たらないのである。これでは、あくまでも効果より論理付けが優先される(予測できない顕著な効果の独立要件説の否定)との印象を抱かせるように思われる。 外国語書面出願に関して 「『外国語書面』とは、特許法36条第3項から第6項までの規定により明細書又は特許請求の範囲に記載すべきものとされる事項を経済産業省令で定める外国語(現在では英語のみ)で記載した書面及び必要な図面でこれに含まれる説明をその外国語で記載したものをいう(36条の2第1項)」(121頁) 外国語書面出願の対象となる経済産業省令で定める外国語は以前は英語のみであったが、平成28年の同省令(特許法施行規則25条の4)の改正によって現在では英語その他の外国語(すなわち、あらゆる外国語)となっているので、本書の上記の記述には誤り(改訂の際の訂正漏れ)がある。 国内優先権に関して 「後の出願にかかる発明が、先の出願と、その先の出願がさらに優先権主張を伴う場合におけるその基礎とした出願の願書に最初に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面双方に記載された発明と同一である場合、その発明については、遡及効は認められない(41条2項かっこ書)。優先権の累積的主張により、1年を超えて遡及効が生じることを防止するためである」(206頁)、「国内優先権制度を利用する場合、優先権の累積的主張を避けるため、優先権主張の基礎としたすべての出願について優先権の主張を行わなければならないことに留意すべきである。但し、国内優先権の主張は、最先の出願日から1年以内に行わなければならないことにも留意すべきである」(208頁) 特許法41条2項かっこ書を分かりやすく説明すると、まず出願A(発明aが記載されている)がされ、次に出願Aを基礎とする国内優先権の主帳を伴う出願B(発明aとbが記載されている)がされ、次に出願Bを基礎とする国内優先権の主帳を伴う出願C(発明aとbとcが記載されている)がされた場合に、出願Cにおいては、発明aについて何ら遡及効は認められず(出願Aを基礎としていないので出願Aの日付への遡及効はもちろん、出願Bは発明aにとって最初の出願ではないので出願Bの日付への遡及効も認められない)、発明bについてのみ出願Bの日付への遡及効が認められるということである。これは、パリ条約による優先権は第一国出願(その発明にとって最初の出願)によってのみ生じるものとされており、パリ条約による優先権をモデルとする国内優先権も第一国出願によってのみ生じさせる必要がある(両優先権の足並みを揃える)ための規定に他ならず、本書の上記の記述(に限らない、よくある説明)のように優先権の累積的な主張による優先期間の実質的な延長の防止のためとは考えられない。そもそも、優先権の累積的な主張とは如何なるものであるのか不明であるし(分割出願の分割出願、すなわち、孫出願、曾孫出願、玄孫出願のようなイメージかも知れないが、優先権は分割出願のように出願自体を遡及させるものではない)、仮に同かっこ書がなかったとしても、出願Aを基礎としていない以上、発明aについて出願Aの日付への遡及効は認められないことは変わらない(出願Bの日付への遡及効は認められることになるが、出願Bは発明aにとって最初の出願ではないので、パリ条約による優先権とは異なる扱いとなってしまう)。なお、出願Cにおいて、発明aについて出願Aの日付への遡及効も認められるためには、本書の上記の記述の後半の通り、出願Aの日付から1年以内に出願Aを基礎とする国内優先権の主帳も伴わなければならない。 特許権の共有に関して 「特許権が共有に係るときは、各共有者は、他の共有者の同意を得ないでその特許発明を実施できる(73条2項)。民法249条では、物を共有する場合、複数の共有者による同時使用が不可能となるため、各共有者は持分に応じた使用ができると規定されているが、特許権は情報財を対象とし、特許発明の共有者による持分に応じた使用が観念できず、全体の同時使用が可能となる。このため、特許法では、民法249条の特則として、各共有者は自己の持分とは関係なく、特許発明の全範囲について実施が可能となることを規定したものである。従って、たとえ特許権の持分が1%の共有者であっても、特許発明全体の実施が可能となる。但し、契約自由の原則の下、契約で別段の定めをした場合は、特許発明の実施に際して他の共有者の同意を要する(73条2項但書)」、(別段の定めに反して特許発明を実施した場合は)「契約違反となって、債務不履行責任が生じるが(民法415条)、特許権の侵害とはならない。このため、他の共有者は、特許権の侵害を前提とする差止請求(100条)や、不法行為に基づく損害賠償請求(民法709条)はできない」(314頁) 本書の上記の記述の後半は明らかに誤りである。別段の定めに反して特許発明を実施した場合は、単なる債務不履行に止まらず、同意を得ていない共有者の特許権(持分)を侵害することになり、その共有者から差止請求や(債務不履行ではなく)不法行為に基づく損害賠償請求をされ得るのである(判例もいくつかある)。そもそも、債務不履行止まりであるならば、特許法73条2項における「契約で別段の定をした場合を除き」との明文(本書の上記の記述では但書となっているが、これも誤りである)は無意味なものとなってしまう。 特許発明の技術的範囲に関して(その1)「特許発明の技術的範囲を解釈する上で特許出願時の公知技術が参酌される。一旦特許権が成立した以上、特許権は有効と考えられることから、公知技術を参酌して、特許権が有効となるよう特許請求の範囲の用語の意義を解釈すべきだからである。例えば、特許請求の範囲に『自然石を、合成樹脂中に混入してなる混合材』という記載があり、対象製品が『着色した自然石を、合成樹脂中に混入してなる混合材』である場合、上述したように、特許請求の範囲に記載された『自然石』が着色されたものか否かが争点となることがある。ここで、明細書や出願審査経過を参酌しても、『自然石』の意義を解釈できない場合において、『灰色に着色した自然石を、骨材として合成樹脂中に混入してなる混合材』を示した特許出願前に発行された先行文献が発見された場合、特許権が有効となるよう、特許請求の範囲に記載された『自然石』は、『着色した自然石』を含まないと解釈される場合がある。このように解釈された場合、着色した自然石を用いた混合材である対象製品は、特許発明の技術的範囲に含まれないことになる」(353頁) 本書の上記の記述のような解釈は、かつては確かに行われていたが、平成12年の半導体装置(キルビー特許)事件の最高裁の判決(権利の濫用)と平成17年の法改正による明文化(特許法104条の3の新設)によって特許権の侵害に係る訴訟において特許の無効を判断できるようになってからは、その必要はなくなった(現在では明らかに通用しなくなった解釈論である)。したがって、本書の上記の記述の例でいえば、「自然石」には「着色した自然石」も含まれると解釈されるので、特許は無効にされるべきものとして特許権を行使できないと判断されることになり、また、訂正によって「自然石」から「着色した自然石」を除外したところで、対象製品は特許発明の技術的範囲に含まれなくなって特許権を行使できないことは変わらない(対象製品が着色しない自然石を用いている場合は、訂正によって無効理由を解消すれば、特許権を行使できることになる)。 特許発明の技術的範囲に関して(その2)「特許発明の技術的範囲は、特許権の効力が及ぶ客観的範囲を意味し、その外延を確定する上で、様々な要因が作用するため、特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解できる場合であっても、少なくとも願書に添付した明細書の記載や審査経過などを考慮して特許請求の範囲に記載された用語の意義が解釈される。即ち、特許権の行使に際して争われる特許発明の技術的範囲は、その解釈に際して様々な外部要因が作用し、修正が働くことになる。これに対して、特許法29条1項及び2項の特許要件の判断においてなされる、特許出願に係る発明の要旨認定は、特段の事情のない限り、願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいてなされ、特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解できない、或いは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許される」、「このように、審査、審判における特許出願にかかる発明の要旨認定と、特許成立後における特許発明の技術的範囲には、大きな差が生じる場合があることに留意する必要がある」(357頁) 特許出願に係る発明の要旨と特許発明の技術的範囲については、それらの特定方法(前者には「認定」がよく用いられ、後者には「画定」がよく用いられるが、要は「特定」である)の異同という論点があるが、それは平成3年のトリグリセリドの測定法事件の最高裁の判決に端を発しているようである。同判決は特許出願に係る発明の要旨の認定方法に関するものであり、本書の上記の記述は明示されていないが同判決に則している。ただ、同判決をよく読めば、明細書の実施例のような非限定的な記載のみを根拠として特許請求の範囲に記載された用語の意義を限定的に解釈してはならないという当然のことを判示したに過ぎないと考えることが可能であるし、そもそも、明細書を参酌せずとも特許請求の範囲の記載の技術的意義を一義的に明確に理解できるケースはむしろ稀である(こちらのケースが「特段の」事情であり、明細書を参酌しなければ特許請求の範囲の記載の技術的意義を一義的に明確に理解できないケースが「通常の」事情であるといえる)ことからすると、最高裁の判決とはいえ同判決を殊更に重要視する必要はないように思う(その後の下級審の判決も実際にそうである)。そうすると、均等論という例外を除けば、特許出願に係る発明の要旨と特許発明の技術的範囲の特定方法には違いはないと考えても特に問題はない(少なくとも、本書の上記の記述のように留意すべき「大きな差」はない)。 特許権の侵害に関して 「特許権の侵害とは、特許権者以外の者が正当理由、権原なく特許発明を業として実施すること、また、間接侵害に該当する行為を行うことをいう(68条、101条)」(374頁)、「『正当理由、権原』とは、特許発明を業として実施し得る正当な理由、又は権原をいう。即ち、『正当理由』とは、特許権の侵害とならない法律上の理由があることをいい、例えば、特許権の効力が及ばない範囲(69条)に該当する場合をいう。また、『権原』とは、ある行為を正当化する法律上の原因をいい、例えば、通常実施権を有する場合などが該当する」(377頁) 特許発明を実施しても特許権の侵害すなわち違法とならない事由の総称として何が適切であろうか。よく用いられるのは「正当な権原」であり、その意義は「特許法その他の法律上の根拠」である。したがって、それで十分であると考えられ、本書の上記の記述のように「正当理由」と「権原」に分ける必要性や実益はないように思う(特許法上には期間を徒過した場合に追完できる事由として「正当な理由」なる用語が存在するので、「正当理由」はむしろ避けるべきである)。 間接侵害に関して 「間接侵害は、その物の生産に用いる物の生産などや、その方法の使用に用いる物の生産などを行う行為を対象とするが、ここでの『その物の生産』或いは『その方法の使用』とは、直接侵害者の侵害行為を示し、専用品や課題解決に不可欠な物をかかる直接侵害者に供給することや、その前提となる行為が間接侵害となる。ここで、『その物の生産』或いは『その方法の使用』が侵害行為を行わない者の行為である場合はどうなるであろうか。即ち、特許権の直接侵害は、特許発明を業として正当理由、権原なく実施する場合に成立するため、1)『業として』実施しない者、2)正当理由、権原を有する者、そして、3)日本で実施しない者に対して、専用品などを供給する行為が間接侵害に該当するか否かが問題となる。かかる場合、いずれも直接侵害行為を行わない者に対する供給行為となるが、個々の事実関係、間接侵害の立法趣旨や特許権の効力をどこまで及ぼすべきかなどとの関係で具体的妥当性のある判断がされるべきものであることはいうまでもない」(388頁) 間接侵害の成否の判断方法については、中山信弘著「特許法」第4版の書評において述べた通りであり、本書の上記の記述における1〜3のようなケースごとに異なるという一貫性に欠けるものでは決してない。 過失の推定に関して 「特許権が侵害された場合、侵害者の過失が推定される(103条)。特許権の内容が特許掲載公報により公示されることから(66条3項)、侵害者に特許権の調査義務があるとして、立証義務の転換を図ったものである」、「特許法103条は、過失の推定規定があるため、侵害者が、自己に過失がなかったことを立証すれば、不法行為に基づく損害賠償責任を免れることが可能となる。しかし、特許掲載公報が発行されている以上、無過失であることの立証は事実上不可能といえよう。但し、特許権設定登録から特許掲載公報が発行されるまでの侵害行為については、過失のないことの立証が可能となる場合もあろう。また、均等論の下で特許権侵害が認定された場合、特許掲載公報を参酌しても侵害の有無の判断が困難となる場合もあることから、過失がないことを立証ができる可能性がある」(401頁) 特許掲載公報の発行前であろうが、均等の判断が困難であろうが、過失の推定の覆滅は現状では不可能であり、過失の大きさについて争う余地があるに止まることは、高林龍著「標準特許法」第7版の書評において述べた通りである。ただ、均等による侵害については、衡平の観点(特許権者にも完全な特許請求の範囲の作成を怠った過失があると考えることができる)からであれば、過失の推定の覆滅(すなわち、損害賠償義務はなく実施料相当額の不当利得返還義務のみ)を認めてもよいと思う。 損害額の算定に関して 「侵害者の譲渡数量のうち、実施相応数量を超える数量又は特定数量に該当するとして、控除された部分について、特許法102条3項の実施料相当額分の賠償が認められるか否かという点が争点となり、これを肯定する判例も存在していたが、エアマッサージ装置事件において、特許発明が貢献していない部分について損害の填補を認めることは適切でないとして、控除部分に対して実施料相当額を認めない判断がされ、それ以降、特許発明の貢献、非貢献を問わず、控除された部分に実施料相当額を認めないという流れが裁判の趨勢となっていた。一方、知的財産の権利者が自ら実施すると同時に、権利をライセンスして利益を得ることができる場合もあるという性質に鑑みれば、『販売数量の減少による逸失利益』のみならず、『ライセンス機会の喪失による逸失利益』も含めて、損害賠償額算定の特例を定めることが損失の填補という観点からは望ましく、学説の多数もライセンス機会の喪失による逸失利益を認めないことに反対している。そこで、令和元年法改正において、売上減少による逸失利益に加え(102条1項1号)、ライセンス機会の喪失による逸失利益(102条1項2号)の合計額について損害額とすることを可能とした」(410頁) 特許法102条1項(旧1項)において推定の量的な覆滅によって控除された数量分の侵害品の譲渡(特許権者の商品に対する需要を奪わずになされた譲渡)に対して別途に実施料相当額の損害賠償請求をできるか否かという論点について、令和元年の法改正(新1項)によって結論としては(本書の上記の記述のように近年の判例に反して)できることで決着したのであるが、その理由については、中山信弘著「特許法」第4版の書評で述べた通りであり、それ以外の理由で納得できるものは見当たらない。本書の上記の記述もそうであるが、明文(新1項2号)がある以上、もはや理由の当否は決め手にはならなくなったので、理由に拘泥する必要はないともいえる。ただ、同条2項においては、同様のことが明文化されなかったので、推定の量的な覆滅によって減額された金額分の利益(特許権者の商品やサービスに対する需要を奪わずに得られた利益)に対して別途に実施料相当額の損害賠償請求をするためには、明文がない以上、依然として理由が決め手になると考えられる。 以上、気になった記述を抜粋して寸評を述べたが、最後に総評を述べる。まず、本書はかなりの分量があり(それ故か価格も特許法の体系書の中でおそらく最高値である)、通読するには多大なエネルギーを要する。特許庁との手続面についてまで細かく網羅していたり(ただし、条文と特許庁のウェブサイトで公開されている「工業所有権法(産業財産権法)逐条解説」を読めば足りる程度の解説がほとんどである)、図解(読者によって好みが別れそうである)やコラム(実務の話はさほど踏み込んだものではない)を多用しているためであるが、すでに特許法に習熟した読者であれば(価格分の享受を放棄して)内容の軽重を即時に判断して読み飛ばせるので問題ないとしても、そうでない読者には荷が重過ぎると思われる。次に、内容については、そのようなコンセプト(サブタイトルに「弁理士本試験合格を目指して」とある)なのかも知れないが、概ね通説的な解説に終始しており、著者の独自の見解や問題の提起の類はほとんど見られなかった。著者は大手メーカーの経験豊富な社内弁理士(知的財産部長)とのことなので、かつての有力書である「特許の知識」(著者はやはり大手メーカーの社内弁理士であり、社長にまでなられた)のような内容であればよかったのにと思う。
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