田所照洋著「オオカミ特許革命」

 

 特許戦略(広い特許権を取得するための戦略)の指南書である。タイトルにも惹かれたが、内容の紹介文にある「特許の真の実態と特許制度の問題」を知りたくて購入した。著者は大手メーカー(特許出願件数で国内上位)の知的財産部門で長年にわたって活躍され、現在はコンサルタントとして活動されているとのことである。以下、気になった記述を抜粋して寸評し、最後に総評を述べる。

 「特許の真の実態と特許制度の問題」に関して(その1)日本における2010年〜2017年の特許侵害訴訟件数は、年平均でわずか160件しかありません。日本の特許侵害訴訟件数年平均160件)が、米国の特許侵害訴訟件数年平均4956件)や、国の特許侵害訴訟件数年平均1万263件)に比べて極端に少ないことに、多くの有識者が危機感を表明しています。この数字の違いは、単なるお国柄の違いだけではありません有識者たちは、日本の特許侵害訴訟が少ない原因は『損害賠償金額が米国に比べて極端に少ないなどの問題が、日本の訴訟制度にあるから』と指摘しています。しかし、訴訟制度の問題だけが原因ではないと、私は確信しています。日本の登録特許の権利範囲が狭すぎることがより重大な原因です。ほとんどの日本登録特許は、権利範囲が狭すぎて、特許侵害訴訟を起こすことすらできないのです特許の権利範囲が狭くて、その中に競合企業の製品が含まれていない場合は、特許侵害訴訟を起こすことすらできません。その結果、日本の特許侵害訴訟の件数が異常に少なくなるのです

 本書の上記の記述によれば、日本における特許侵害訴訟件数が少ない原因として、お国柄(一般論)や損害賠償金額の低さ(有識者の見解)のほかに、日本の特許権のほとんどは権利範囲が狭すぎるものであること(著者の見解)が挙げられているが、前二者はともかくとして(金銭面については、弁護士費用の高さも一般論として見過ごせない、後者については、実証は困難である(著者は長年の経験から確信を得たと思われる)ので、あくまでも仮説の域を出ないように思われる。ところで、特許出願件数や特許登録件数ならまだしも、特許侵害訴訟件数が少ないからといって必ずしも特許制度(損害賠償金の算定も訴訟制度というよりは特則を設けた特許制度に含まれる)に問題があるとは限らないはずであり、ほとんどの事業者が他人の特許権を尊重している結果という可能性もある(これも実証は困難であるが、仮にそうだとすると、むしろ理想的な状況ということになる

 「特許の真の実態と特許制度の問題」に関して(その2)普通、特許侵害を見つけたときは、特許を無断使用している侵害者へ使用中止を求める警告状を送付する、侵害者と特許ライセンス契約について交渉するなど、広義の権利行使から始まります。警告が無視されたり交渉が合意に至らなかったりすると、特許権者は、狭義の権利行使である特許侵害訴訟を検討し始めますそこで、広義の権利行使が可能な特許のうち、1%だけが、狭義の権利行使である特許侵害訴訟で争われると仮定してみましょう。すると、2010年〜2017年における特許侵害訴訟件数の合計が1284件という数字から、広義の権利行使ができる特許の合計件数を逆算することができます。その結果、2010年〜2017年までの8年間における広義の権利行使ができる特許(技術を守ることができるオオカミ特許)の合計件数は、1284÷1%=2万8400件ということになります2010年〜2017年の8年間における特許出願件数の合計は264万2件になります。したがって、前述の仮定に基づくと、出願された日本特許が広義の権利行使ができる特許になる割合は、2.4万件÷264万件=4.9%(以下、5%)ということになります。権利行使により事業や技術を守ることができるオオカミ特許は、2010年〜2017年における総特許出願件数のたった5%しかないことを、この試算は示しています。また、権利行使できないヒツジ特許が5%になることも示しています。日本では、事業や技術を守るべき発明が特許出願されても、それらの5%は権利行使ができないヒツジ特許になってしまうのです0頁特許出願の5%が、権利行使ができない特許ヒツジ特許)になってしまうという衝撃の実態は、一般的にはほとんど認識されていません。しかし、これから特許を出願したり、権利化したりする企業の経営者・技術者・研究者は、しっかりとこのことを認識しておくことが必要です。なぜなら、対策をとらないと、企業や技術者にとって大事な特許が、5%を占めるヒツジ特許になってしまい、市場競争で模倣企業に負けてしまうからです2頁

 オオカミ特許の1%が特許侵害訴訟を提起するとの仮定については何とも評価不能であるので、本書の上記の記述の試算によるオオカミ特許の(特許出願に対する)割合は5%である(すなわち、日本における特許侵害訴訟件数が少ない原因として著者が挙げた仮説におけ「ほとんど」とは5%である)という数値自体も評価不能である(したがって、これが特許の真の実態」であると直ちには同意も否定もできないが、具体的な(インパクトある)数値を示して何とか読者に危機感を抱かせ(て本書のこの後の話に続け)ようとする著者の意図は伝わってくる。

 「特許の真の実態と特許制度の問題」に関して(その3)202年現在、日本の特許庁は『特許審査に関する品質ポリシー』として『強く・広く・役に立つ特許権を設定します』というスローガンを掲げています。そして、そのスローガンを次のように説明しています後に無効にならない強さと発明の技術レベルや開示の程度に見合う権利範囲の広さを備え、世界に通用する有用な特許権を設定します』 しかし、この『後に無効にならない強さの権利範囲』という品質基準では、特許の権利範囲を過剰に狭くするバイアスを審査官にかけてしまう恐れがあります。特許の権利範囲を過剰に狭くした場合、その特許は無効になりにくくなり、特許審査の品質基準にぴったりと合致するからです。すなわち、特許を過剰に狭い権利範囲で登録することが、日本の特許審査の質を高めることになってしまうのです。この特許庁の品質ポリシーが、権利範囲が狭いヒツジ特許を蔓延させている原因のひとつだと確信しています)、日本の特許出願が5%もの高確率で、権利行使ができないヒツジ特許になってしまう一番の原因はなんでしょうか? それは『審査官が認めて登録特許になったのだから、登録特許は技術をしっかり保護している』という、発明者と経営者の思い込みです。そして、その思い込みをたくみに利用した、特許制度最大のカラクリがあります特許の専門家でない発明者や経営者からすれば、すばらしい発明を特許出願したので、当然、その技術をしっかり保護しているすばらしい特許が取得できていると思い込んでいます。なぜなら、特許出願や特許を権利化する手続は、特許の専門家である弁理士がおこなってくれたからです。しかも、国の行政機関である特許庁の審査官や審判官が、審査・審判を行った結果、その特許を登録にすると認定してくれたのです。当然、発明者や経営者は『登録特許』が、いざというときに権利行使できるすばらしい特許だと思い込みます。さらに、菊のご紋が入った表彰状のように立派な特許登録)証が、特許庁から出願人に送られてくるのです。この立派な特許登録)証を見て、技術者も経営者も、とても喜び満足してしまいます。このようにして、自分たちの『登録特許』は権利行使できるすばらしい特許だという思い込みが、発明者や経営者に、しっかりと刷り込まれていくのです特許の専門家である弁理士や審査官・審判官は『登録特許』について、発明者や経営者とは、まったく異なる認識をしています。なぜなら、特許法はすばらしい発明であれば登録にするという構造ではないことを知っているからです。特許法は、拒絶すべき理由が一つもなければどんなにくだらない発明でも)登録にするという構造になっています。拒絶すべき理由が一つもないという状況は、出願された技術がとても先進的で、従来技術がまったく存在しない場合が当てはまります。しかし、特許の権利範囲が過剰に狭い場合も、ぴったりと当てはまってしまいます。権利範囲が狭ければ狭いほど、似た従来技術がなく、拒絶すべき理由がないことになるからです。しかも、驚くべきことに、発明のすばらしさは特許の登録にほとんど影響しません。その結果『登録特許』では、特許の権利範囲が過剰に狭いヒツジ特許が圧倒的に多くなってしまいます。特許の専門家である弁理士も審査官・審判官も、権利範囲が狭くて権利行使できないヒツジ特許が、一般公衆の権利と利益を害することがなく、だれも文句をいってこないことをよく知っています。また、権利範囲が異常に狭くても特許が登録になりさえすれば、何も知らない出願人は喜び、弁理士は出願人から感謝されることも知っています。そして、弁理士は、契約によっては、特許出願が登録になったことで成功謝金を出願人から得ることもできます。出願人は出願した特許のすばらしさを特許庁が認めて登録になった、と勘違いして大満足するわけです。当然、第三者も狭い特許が大好きです。模倣することが、かんたんで好都合だからです。このように、どんなに権利範囲が狭くても特許が登録になりさえすれば、すべてが丸く収まってしまいます。したがって、特許の専門家である審査官や審判官は、できるだけ権利範囲を狭くしたうえで、特許をできるだけ登録にします。特許を登録にすることによって、出願人に不満や疑問を持たせないのです。出願人の味方であるはずの弁理士も、審査官や審判官と同じゴールを目指してしまいます『登録特許』という見せかけだけの成果で、権利行使ができると勘違いさせることが権利行使できないヒツジ特許を日本特許の5%まで増殖させてしまう最大のカラクリです。技術者・研究者や経営者は、何らかの機会に、ヒツジ特許で第三者へ権利行使をしようとして大失敗するまで、この勘違いにまったく気づかないのです8頁

 本書の上記の記述において特許庁(審査官や審判官)や弁理士の行動として指摘されていること(本書の別の箇所においては、より詳細に生々しく述べられている)は、実際にそのように行動している(特許出願の5%がヒツジ特許となるほどに横行している)かはさておき、確かに可能なことではあるので、特許出願を弁理士に依頼するにあたっては、何らかの自衛策を整えておくことが望ましい。そのような方策としては、出願人自らが特許制度に習熟する(判例に基づいて特許法を理解する)ことが最善であり、それが困難ならば別の弁理士によるセカンドオピニオンを得ることが次善であると考えられるが、少なくとも、本書の別の箇所においても述べられているが、丸投げ(任せっきりに)せずに特許請求の範囲をもっと広くできませんか」と常に要望することが必要である(その要望に応えるために弁理士から協力を求められれば忙しくても応じなければならない。なお、仮に特許庁(品質ポリシーに基づく)審査が問題なのだとすると、立法論となるが、いっそのこと実用新案登録のように無審査で登録することにすれば、そ問題が原因でヒツジ特許が生み出されることはなくなる。

 「特許の真の実態と特許制度の問題」に関して(その4)技術者・研究者や経営者の方々は、国の行政機関である特許庁が運用する特許制度や、特許庁の審査官がおこなう特許審査を信頼し尊重されていると思います。私も、特許の仕事を始めた頃は、特許制度や特許審査について、何の疑問も持っていませんでした。しかし、これらは『特許制度や特許審査に大きな問題はない』という誤った固定観念です「意外に思われるかもしれませんが、特許制度や特許審査には根深い問題がいくつもあります。自然科学の世界は、神様が作った自然法則というルールで動いています。一方、特許の世界は、人間が作った法律というルールで人間が動かします。両者の間には、完成度や普遍性という点で比較にならないほど大きな隔たりがあります技術者・研究者は、おもに自然科学の世界で活動しているので、神様が作ったルールに慣れています。したがって、人間が作ったルールで人間が運用するあいまいな特許の世界では、戸惑うことが多いはずです「特許制度最大級の問題は『特許になるかならないかの登録基準が明確ではなく、あいまいな基準である』ことです特許の世界では、自然科学の世界で使用されている測定器がないからです。しかも、発明は、言葉という極めてあいまいなもので定義せざるを得ません。たとえば、同じ発明を一行でも、0頁に及ぶ文章でも定義することができます。ある発明の言葉による定義は、何億通りもあります。実は、発明の定義が変われば権利範囲も変わります。したがって、権利範囲の広さも何億通りもあることになります。さらなる問題は『そのあいまいな登録基準を、あいまいな人間が判断していること』です。しかも特許審査では、それをたった1人の審査官(人間)が独断専行で判断することができます。当然、審査結果は、審査官によって変わる可能性があります。また、同じ審査官でも、その時の心理状態や健康状態によって審査結果が変わってしまうことも起こりえます。ときには、審査が恣意的におこなわれることすらありえます。したがって、審査官がおこなった審査結果はいつも正しいとは限りません。とても不安定なものです。私は自信をもって『特許制度や特許審査にはとても問題が多い』と、断言できます「技術者・研究者と経営者は、大事な発明を特許で守るために、まず、特許制度や特許審査が多くの大きな問題をかかえていることをしっかり認識しなければなりません。そして、あなたの大事な特許に対して、審査官が条文を引用して主張している内容が、正しいとは限らないことをしっかりと意識することが大事です7頁)

 本書の上記の記述において特許制度の問題として指摘されている登録基準のあいまいさ(本書の別の箇所においては、進歩性の判断基準は漠然としていて正確な判断が困難であることが述べられているので、ここでの登録基準は主として進歩性のことである)については必ずしも同意できないし、ましてや、言葉という伝達手段自体をあいまいなものと断じていることには疑問を感じるのであるが、発明の言葉による定義とそれによる権利範囲の広さには何億通りもあるとやや大仰に指摘することによって、読者に特許請求の範囲はそれだけ繊細なものであるという意識を植え付けようとする著者の意図は伝わってくる。登録基準のあいまいさについては、幸いにも特許侵害訴訟件数に比べて審決取消訴訟件数は何倍も多いことから一通りの判例は出尽くしているので、それらを正しく把握していれば、全くとまでは言わないが、さほどあいまいさは感じないはずである。そして、最終的には裁判所が判断するのであるから、それらの判例に基づいて裁判所の判断を予測できれば、特許庁(審査官や審判官)がどのように判断しようとも怖くはないのである。ところで、本書の上記の記述における自然科学の世界と(人為的な取決めである)特許の世界の対比は、特許法上の発明の定義において「自然法則を利用した」との要件を設けた趣旨(定説はない)奇しくも説明できそうな点で興味深いものである。

 以上、気になった記述を抜粋して寸評を述べたが、最後に総評を述べる。本書は、まず前半で日本の特許権は狭いもの(ヒツジ特許)ばかりである実態を紹介し、その原因として権利化に関わる人々(発明者特許担当者、経営者、弁理士審査官や審判官の行動と特許制度自体の問題を指摘し、それに伴う出願人の誤った固定観念の打破と意識革命の方法を提唱し、そして後半で広い特許権(オオカミ特許)を取得するための具体的な戦略を指南しているのであるが、あとがきに「特にお伝えしたかったのは、本書の前半部分です」とある通り、前半が類書にない本書の特徴であり(ただし、内容の真偽についてはさておく特許制度に不案内な出願人(本書でも皮肉っぽく言及されているが、立派な特許証を見て特許庁から表彰されたと感じて喜ぶような出願人は要注意である)がそこを読めば、少なからず啓発されることになると思われる。後半については、概ね、広い特許請求の範囲の作成評価の基本的なテクニックの紹介拒絶理由通知に潜む罠(不必要な補正を誘導した拒絶理由通知である「毒団子入り拒絶理由通知、事実に反する認定をこっそりと取り込んだ拒絶理由通知である「ステルス拒絶理由通知、後知恵で進歩性を否定した拒絶理由通知である「後知恵拒絶理由通知)への注意喚起オオカミ特許を獲得するための三大手続である「オオカミ特許三銃士(拒絶査定不服審判、補正、分割出願の活用で構成されているが、オオカミ特許三銃士とされる手続は通常は消極的に防御手段として利用するものであるところ本書では積極的に(攻撃手段として活用するものとなっている点で興味深かった。ただ審判官は審査官より心理的に厳しい立場にある(審決取消訴訟を提起されて敗訴すると特許庁の信用にキズがつくので、できるだけ拒絶審決を書くことを避けたい)ことから審査より拒絶査定不服審判のほうが緩くなる傾向がある(広い特許請求の範囲で特許を受けやすいとの指摘の真偽は不明であるし、補正や分割出願に至っては、模倣品の出現を待ってからそれまで分割出願を繰り返す、それらを補正や分割出願によって特許請求の範囲に取り込むという極めて限られた状況いくつか実例は紹介されている)でしか通用しない戦略(分割出願を繰り返すと費用も大きくなる)ので、実効性には疑問を感じた。したがって、本書は特許戦略の指南書(サブタイトルに「事業と技術を守る真の戦略」とある)というよりは特許出願人啓発書として(前半のみを)読むことが適しているように思う。

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