大阪地裁(平成1年4月7日)“熱伝導性シリコーンゴム組成物事件本件実施契約上、特許権発生後における『許諾特許』とは、同特許権に係る特許請求の範囲と解すべきであるから、本件補正による特許請求の範囲の減縮により、GR−b等は『許諾特許』の技術的範囲に属さず『許諾製品』に当たらないことになる。よって、GR−b等については、特許権発生後、すなわち特許権の設定登録日以後、実施料を支払う義務はなかったというべきである。しかしながら、本件実施契約では、原告がいったん受領した実施料は、許諾特許の無効、本件実施契約の解約その他いかなる理由によっても被告に返還されないと定められており(不返還条項、その文言上、契約締結後に生じたあらゆる事由がこれに含まれることになるから、本件における特許請求の範囲の減縮も、文言上『その他いかなる理由』に含まれることになる。この点、被告は本件において不返還条項は適用すべきではない旨主張する。しかし、本件では特許請求の範囲が減縮された上で特許権が発生したのであるから、減縮後の技術的範囲に属する場合には実施料の受領が認められることになるし、本件実施契約上、被告が原告に対して実施品の態様を開示する義務は定められておらず、基本的に被告の責任において当該実施品が『許諾製品』に該当するかを判断することが前提とされているのであるから、特許権が発生している以上、被告の支払う実施料を受領することは、むしろ通常のことといえる。そうすると、本件において原告が特許権発生後も被告の支払う実施料を受領したことが信義則に照らして容認できないとはいえず、不返還条項の適用を否定すべき事情は見当たらない」、以上より、・・・・特許権発生日後については、GR−b等は『許諾特許』の技術的範囲に含まれず『許諾製品』には該当しないが、GR−b等について原告が受領した実施料は不返還条項に基づき返還する必要はないから、その実施料の受領に法律上の原因がないとはいえない。よって、被告の・・・・不当利得返還請求権は、・・・・認められない」、「原告は、信義則上、本件補正を通知する義務を負っていたと主張するところ、・・・・出願段階では補正が認められて特許されるものかどうかが未だ確定しておらず、原告が本件補正書を提出したというだけでは直ちに本件実施契約上の権利義務に影響を及ぼすものではないと解すべきであるから、そもそも補正の事実を通知する実益に乏しく、信義則上、かかる義務を認めることはできない。他方で、補正によって特許請求の範囲が減縮された上で特許査定され、特許権が発生した場合には、本件実施契約上の権利義務にも影響を及ぼすことになるから、減縮の事実を被許諾者に通知する実益があることは否定できない。また、本件実施契約では、まず、被告において自己の販売する製品が『許諾製品』に該当するかどうかを判断すべきであるから、その判断に当たって特許請求の範囲が減縮されたことは重要な情報といえる。したがって、少なくとも、被告から本件出願の経過等について問合せがされた場合には、原告はこれに誠実に応答すべき信義則上の義務があったというべきである。しかし、さらに進んで、特許請求の範囲が減縮されたことについて、被告からの問合せの有無にかかわらず原告から積極的にこれを通知すべき義務があったか否かについては、これを容易に肯定することはできない。なぜなら、本件実施契約書においてかかる通知義務の存在を窺わせる条項は全く見当たらず、同契約書外においても通知義務を認める旨の合意の存在を推認させる具体的事情は何ら認められないのであるから、本件において通知義務を認めるということは、実施許諾契約一般において、これについての明示又は黙示の合意の有無にかかわらず、許諾者たる特許権者に信義則上の通知義務を負わせることになりかねないからである。もともと、出願段階で許諾を受けようとする者にとって、契約締結後の補正により特許成立段階で特許請求の範囲が減縮されることは、当然に想定できる事柄であり、減縮があった場合に許諾者から通知して欲しいというのであれば、契約交渉段階でその旨の同意を取り付けて契約書に明記しておくべきといえる(かかる交渉を経ずに許諾者一般にかかる義務を負わせることは、むしろ許諾者に予期しない不利益を被らせるおそれがある。)。また、被許諾者は、許諾者に特許請求の範囲を問い合わせたり(少なくとも許諾者には問合せに応答すべき義務がある。)、特許公報等を参照するなどして、特許請求の範囲がどのようになったか調査することができるのである。上記のような事情を併せ考慮すれば、許諾者たる特許権者一般に、信義則上、特許請求の範囲が減縮された場合の通知義務を認めることはできないというべきであり、本件においても、原告に、信義則上かかる通知義務があったと認めるに足りる事情はない(なお、上記は特許請求の範囲が減縮された場合を前提としており、拒絶査定不服審判における不成立審決が確定した場合や、特許無効審判における無効審決が確定したような場合における通知義務については別途考慮を要するところである。)。したがって、原告には通知義務違反の債務不履行が認められず、これに基づく損害賠償請求権も認められない」と述べている。

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