東京地裁(令和2年)“癌治療剤事件本件実験のほぼ全てを原告が行ったことについては、当事者間に争いがないところ、原告は、化学の分野においては、発明の基礎となる実験を現に行い、その検討を行った者が発明者と認められるべきであると主張する。しかし、・・・・発明者と認められるためには、当該特許請求の範囲の記載に基づいて定められた技術的思想の特徴的部分を着想し、それを具体化することに現実に加担したことが必要であり、仮に、発明者のために実際に実験を行い、データの収集・分析を行ったとしても、その役割が発明者の補助をしたにすぎない場合には、発明者ということができないと解すべきである。原告が本件発明に係る技術的思想に関与せず、抗PD−L1抗体の作製・選択及び本件発明を構成する実験の設計・構築に対する貢献もごく限られたものであったこと・・・・によれば、原告の本件発明における役割は補助的なものであったというべきである」、「原告は、一般的に、学生は、大学院の研究室において、研究者として自立し、専門業務に従事するために必要な能力を養うために自らの研究として実験を行っているのであり、原告についても、実験の着想、個々の実験の条件設定、材料・方法の選択、条件修正などを自ら主体的に行ったものであると主張する。しかし、・・・・原告が在籍した当時、Z研における修士課程の学生は、いずれも非医系学部出身者であったと認められるところ、これらの学生が、修士過程の終了までに、免疫学の基礎知識を習得するとともに、基本的な実験方法や手技を身に付け、更には与えられたテーマに沿った一連の実験を実施して所期の成果を上げ、これを論文に記載して発表するのは容易なことでなく、Z教授及びその他の教員の教育的な配慮に基づく日常的な指導や助言等があって初めて可能になるものであったと考えるのが自然である。原告についても、Z研に入室した時点では免疫学分野の実験経験がほとんどなく、PD−1に関する先行研究についての知見も、実験に必要な技術・手技も習得していなかったものと認められるところ、原告が、Z研において、修士課程の終了までに、一連の本件実験を行い、博士号取得の根拠論文として引用可能なPNAS論文に掲載する実験データを揃えることができたのは、原告自身の研究姿勢や継続的な努力もさることながら、Z教授及びW助手による日常的な指導・助言によるところが大きかったものと考えられ、そのことは・・・・個別の実験の経過からもうかがわれるところである」、「原告は、グループミーティングにおけるZ教授の助言等は『指示』ではないと主張する。もとより、同ミーティングにおけるZ教授の発言には様々な性質のものが含まれていたものと考えられるが、Z研における研究はZ教授の責任と判断の下に行われていたことに照らすと、実験の手技や細部等についてはともかくとして、各学生が行う実験の種類・内容、その進め方、実験結果の評価方法、今後の実験計画など、研究の主要な部分についての同教授の指導・助言等は実質的には指示に近いものであり、Z研の他の教員及び学生も、同教授の指導・助言等に沿って研究を進めていたと認めるのが相当である」、「原告が在籍した当時のZ研の学生指導の実情に照らすと、Z教授は、原告の実験の進捗状況等を把握しつつ、グループミーティングなどを通じて、必要な指示や助言を与え、原告もこれに沿って本件実験を進めていたということができる」、「以上のとおり、原告は、本件発明の共同発明者であるとは認められない」と述べている。

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